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No.018 器用な人ほどシンプルに

大概のことがソツなくできてしまう器用業界の皆さま。 長年周囲のためにご尽力をなさってこられたと思います。 私も器用業界それも特に「器用貧乏業界」の隅っこの端くれ者として、自身が長年継続させている企画制作会社や、用途を決めずに作った店舗などの経験を通して思うことがあります。 器用な人ほど年齢・経験が上がるにつれ逆に「シンプル」「単純」に絞っていくのが良い ということです。 なんでもできてしまうので、企画・立案・予算組み・予算取り・人員確保・オペレーション・制作・デザイン・ビジュアル・ネゴシエーション・マーケティング・プロモーション・宣伝・演者・司会・ファシリテータ・当日運営・トラブル対応・検証などなど、 全部ひとりでできます! などと言いたくなる気持ちはわかります。しかしこういったことは個人ではなく「会社組織」で行うといった方が信憑性があります。 なんでもできる個人の方は、いちばんシンプルに、単純に、自分の肩書ややれることを表明するのが商売にする近道です。もちろん 肩書だけでなく実際の行動も です。商売にしなくて良い場合は、ご自身のコンセプトに沿ってたくさんの要素を並べても良いと思います。 例えばわかりやすい例ですと、 料理人 ケーキ職人 俳優 ミュージシャン 占い師 ネイリスト 服飾デザイナー などなど。どれもシンプルでわかりやすいですよね。 でも例えば俳優が俳優だけやっているかというと、私の知人の俳優たちはプロで通用するぐらい絵やイラストに長けていたり、カメラの腕があったり。知人のケーキ屋さんはフランス語が堪能でフランス現地経験も長いです。私の顧客の服飾デザイナーは、本人がモデルをやれるというぐらい綺麗なお顔立ちで、その上交渉や人間関係を作ることに非常に長けていてデザインの実力とともに大活躍中です。 どんなにシンプルな肩書と仕事に絞っても、結局仕事中に全ての能力が溢れ出して評価されるんですよ。 なんでもできる器用業界の方々は、恐れることなく自身をシンプルに設定し、単純に表現することにチャレンジしてみましょう。私自身も、組織の中で器用に様々な仕事を担うという立ち位置から長らく意識が抜け出せずにいたひとりです。しかし、なんの脈絡もない土地で「お店を持つ」という経験を通じて、このシンプル・単純さがいかに大切か、奥深いかが理解できました。 組織ではオールラウンダーを表明・...

No.017 Brigitte Bardot - La madrague

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夏が去って、戻ったパリに秋の雨が降り出す頃 南仏のバカンスの日々を思い出す フランスの夏は本当に「一瞬」 日本の西日本にいると「もう、夏はけっこうです」と毎年飽き飽きするほどですが、フランスでは宝石のような季節に思える気持ちはよくわかる 歌詞に出てくる、 "  Coquillage et crustacés " コキヤージュ エ クルスタセ 貝殻、エビやカニたち 味覚というよりは、オブジェ的に「青い海の小さくて可愛いもの」のイメージだろうと思います 私も10月の雨の日に口ずさみたくなる素敵な曲 お気に入りtop10 に入るブリジット・バルドーの声 maki

No.016 ご褒美

コロナ騒動でイベント系の企画・実施案件がとことんなくなり、廃業・転業した同業仲間もたくさんいるのですが、私は自分のプライベートワークでなんとか食い繋ぎながらイベント企画制作会社も一応存続させていました。このところようやく、ポツポツとではあるもののかなり定期的に東京、関西の案件のオファーや実施が入りようになり、本当に、「やっと」です・・・ 企業の予算が一度カットされてしまうと、PRイベントに対する考え方、携わる部署や人も全て変わってしまうため、それをまた元通り復活させるのは至難の技。コロナが5類相当に変更され、インフルなどと同列に扱われ始めるまでなんだかんだ4年かかり、毎月のように案件オファーが入るようになったのはここ最近ですので5年6年、10年かかってもおかしくないほど企業のイベントのあり方は変わってしまいました。 まあこんなこともあろうかと5ヵ年計画で副業を育ててきたのですが、色々頑張ったみたいです私、ということで何かご褒美を自分にあげることにしました。20年近くイベント業界で自力でブレずにやってきたし、海王星魚座時代の<13年間>でゼロイチを育てることも、一応の結果を出せたしなぁ。 《ご褒美案》 3ヶ月ほど何もかも休んで、フランスかイタリアに留学しようかな〜?毎日広場のマルシェで野菜や果物を買って料理して、大学で授業受けて、友達もたくさんつくって休日には近隣の街に観光。のびのびとひとりでそういう生活をすればかなりリフレッシュできるだろうなぁ〜!! と考えたものの、 それはもう少し後でもいいかな、私を守護してくれている2025年3月末の海王星魚座時代が終わるまでに、もうひとつ新しい仕掛けを立ち上げておこうかな〜? とも思い始めたのです。 これまでに、事業の事務所&店舗として、東京では5ヶ所賃貸で場所を借りてきました。三軒茶屋、自由が丘といったエリアです。状況・景気に合わせて場所も家賃も変更できますのでそれはそれで良いのですが、今回私は関西の自宅の近くに、サロン事業のための小さな物件を購入するのはどうだろう?と仮定し、物件を探してみました。3〜4ヶ月探していたと思います。 ・自宅からの距離 ・サロン事業をやるためのエリアイメージ ・物件のアクセスや環境 これまでに店舗営業を3ヶ所やってきたことからの経験を踏まえ、上記3つの要素にこだわりました。そうすると、何かのミラ...

No.015 今年の十五夜(+魚座満月)

2025年03月29日で約13年間続いた『海王星魚座時代』が終了するため、魚座の私は海王星の守護が無くなり「もう後がない、絶対死ぬ」と思っている(笑)のですが、今月9月に魚座へのプレゼントがもうひとつありました。 毎年やってくる『十五夜』(中秋の名月)、今回2024年は9月17日なのですが、当日を含むその前後1日は、月が魚座の位置にあります。ちなみに満月は9月18日です。 2024/09/17:魚座の中秋の名月 2024/09/18:魚座満月+ハーベストムーン+月食(日本では見えない) この両方が年内最大の魚座イベントになります。 魚座の満月は、 赦します そして手放します 浄化して脱ぎ捨てて過去よさようなら〜 の日です。 これまでを振り返ると「自分自身」にフォーカスを当てたことがなく、自分のことなど考えたことがない人生でした。自分への興味も薄く、ほめられるのはものすごく苦手、今よりもっと若い頃などは、ほめてくれた人に「私のことなどほめなくていい!」と怒ったこともあるぐらいです。今はちゃんとお礼を言えるようになりましたが、最低限しか自分に手をかけず、かなり自己意識が大雑把だったと思います。 他者と自己の区切りを持っていなかった とも言えますし、 自分で自分を「消耗品扱い」していました 。 だからここからせめて海王星魚座時代の終焉までの半年ほどは、 ① 自分のことを大切に思う ② 私そのものを大切にしてくれる人を大切にする ということを、あえて考えてみようと思います。 自分 自分 自分 自分 で生きてる人って、すごくしんどそうに見えるのですが、ちょっとうらやましいこともあります。しっかりと自分に価値を見出だせているんだな、という部分です。 私は 「価値」というのは必要とされる度合いが強いところに発生するものと思っているのですが(=流動的な価値) 、流動的な価値ではなく、 絶対値的な価値 を自分自身に据えられるのってすごいと思うんですよね。 良い悪いは別として。 そう、良い悪いは別としてですよ。 自分自身は流動的価値観で生きていますので、具体的には 社会やお客様から対価をいただいて生活できている というところに価値を見出だしますが、対価が発生せずとも見出せる人がちょっとうらやましいです。 まあ、ちょっとですけど。 "自己認定価値" と "思...

No.014 脱出

2024年5月20日頃から、8月8日頃まで、生活の最低限のことしかできませんでした、やりませんでした。 これは日本列島の「梅雨前線」の影響で、私に毎年降りかかる体調面の被害です。沖縄が5月下旬に梅雨入りし、8月上旬に東北で明け、そこまで目一杯かかります。それが、先日8月9日に、突然、シャキッと目が開いたような感覚を得ました。そこからはなんでもサクサクとコトが運びます。気圧や湿度の影響である、という科学的、医学的知識が無い時代でしたら、「何かに取り憑かれていた」「そして除霊に成功した」と言えるぐらいの変化です。 子供の頃から抱えている「天気病」ですが、このおかげで360日快晴・高気圧の南フランスに移住したい気持ちが湧き、実際南仏に留学して実感し、今では全移住でなくていいので、6月7月いっぱいをあちらで暮らしたいと本気で願っています。 本当に不思議です。 この2ヶ月ちょっとの期間は、毎日24時間、頭にも心にも体にも、もわ〜っとボヤ〜っと膜がはったみたいになり、常に全身鈍痛的な痛み、最も苦手とする湿度からの不快感は気分がとことん悪くなるという状態です。この時期は「仕事だけちゃんとやる、それ以外は何もしない」と決めています。全部やろうとしたら相当自分に負荷がかかって、途中でコト切れるでしょう(笑)それが突然、自分的には何もしていないのに急に治まってラクになるのですが、もう味わいたくないですね。毎年毎年、イヤな時期です。字を書いたり、ブログや文章を書くのが普段は大好きなのに、全くアイディアも湧きませんし、直接対価発生事しかやれません。洋服を部屋の床に脱ぎぱなしにして2〜3日ほったらかしとかもこの時期はやりますが、私の大切な大好きな猫ちゃんがその洋服の上に寝転んで気持ち良さそうに眠っていたりするので、それはそれで良いのです〜 このようなネガティブな起点から「高気圧の国に住みたい」と思うのはかなり実現の可能性が高いと思っています。「単なる夢見事」でしたら、逃しても痛手はないかもしれない。でも、この場合逃したら私は一生、"梅雨不調" に苦しまなければならないのです。 それは、イヤです。もうこりごりです。 ひとりひとり、いろんな不調があります。 公表していないだけで、何かしらあるものです。 今現在は、それを抜けたので「この秋は何をしようかな〜」と色々考え始めていま...

No.013 パリ五輪

この2024年夏のパリ五輪、面白いなあと思っています。競技そのものよりも、「物議醸しすぎによる全員参加型」になっている点です。 大雨ずぶ濡れ開会式から始まり、選手村のクオリティ、ルールの運用、実施管理などなど、これほどまでに皆が自分の意見や批評をしまくっている大会も無いでしょうね。 さすがフランス、皮肉がききまくっていて(ワザとなのか、実力や予算の無さなのかはこの際どっちでもいいです) 「サステナブル」という啓蒙単語がこれほど光って見えたことはありません。 『あちら立てればこちらが立たぬ」 『二律背反』 という状況を、世界的にわかりやすく見せてくれています 笑 日本人は、この両方を立たせることに長けた人が多いです。でもそれは、ほとんどが個人個人の性善説的奉仕感情による「金額以上の先読み行動」からできていることであって、先の東京五輪で末端の会社やスタッフが満足なものを受け取っていたかというと、世界水準から見ても相当低いものしかなかったでしょう。 絞るところは、末端の人件費しかない それでもマンパワーでなんとかしてくれる という期待感で《有終の美》のために日本人は動きますが、他所の国ではその感覚は異常とも言えますので、サステナブルを片面からのみ文字通り実現しているのです。(多分) 東京五輪の際は、実施そのものが財政面での「害悪」一択のような論調で書かれていたのに対し、パリ五輪では内容や運用面で皆が意見を言い合っています。当たり前のことを当たり前にやるのが本当はとても難しいということを気づけて良いと思います。先に書いた『二律背反』、イベントごとでは全ての運用においてエベレスト越えのように厳しいことだらけです。 もちろんそれは、他国の予算だから知ったこっちゃないということで、純粋に競技ルールや運用面であれこれ言えるのです。しかし世界中からの批判でフランスは怯むような国ではありませんし、それもパリなので、東京とは異なる「強気」「反省知らず」でこのまま一気にシャンゼリゼ〜凱旋門のフィナーレに進むのでしょうね。 勝利の凱旋です。 今年はどこかのタイミングでフランスに遊びに行こうと思います。パリに寄るかどうかはわかりませんが、それでもより色々なものが便利になっていると思われます。 maki

No.012 誰といるか・誰とやるか

大人になっていくにつれ、俳優もパティシエも画家も化学者も弁護士も医者も、これらは例えですがあらゆる職業、肩書きの人が本当にたくさんいる、ということに気づきます。 子供の頃、「なってみたい」と思っていた気持ちは「やってみたい」という未来への憧れと好奇心ですが、大人になって身の回りを見渡すと、やっている人が恐ろしいほどいるやん・・・という「事実」に目がいきます。そして、大人になってから成れるものには多少、かなり限界があります。 そして仕事というものは、労働して対価を得る、この単純なエネルギー交換です。子供の頃に憧れた仕事についたとしても、毎日の労働となれば、疲れるしストレスも溜まるでしょう。人間関係、気候や災害、経済から影響を受けてしまうこともあって、誰もが日々の仕事を頑張って過ごしています。「やりがい」という言葉は、「骨が折れる」ものに対して感じるのです。 自身のこれまでの経験では、自分でやりたいと思った仕事や、人からいいなと言われる仕事そのものよりも、 『その時にどんな人と一緒に仕事をしていたか』 の記憶が強く残っています。幸い自分自身は、とても人に恵まれました。お陰で肉体的・精神的疲労感を感じても、どの仕事もイヤになることはなかったです。独立開業してからも然りです。 ・この仕事をやって、こんな人に出会えた【結果】 ・まだ見ぬ人に出会うために、自分ができる仕事をやっている【目的】 もっと若い頃は前者の思いだったのですが、ここ10年ほどは後者の思いが強いです。そして、仕事を通じて、 ・出会い方 ・誰に出会えたか ・誰とどんなことをしたか を振り返るととても楽しい気持ち、ありがとうの気持ちが湧いてきます。結局、最終的に残る記憶の多くは、『人』なんだと思います。 今やりたい仕事ではないものの、周囲の人と良いコミュニケーションができているなら、それを大切にすることは将来的な財産になるでしょう。「こんな成績・実績を出した」という自己満足の気持ちは数年ほどのものです。もっともっと、長い目で見た時には、仕事での数字や名誉よりも、「誰とできたか」を懐かしく、嬉しく思い出すはずです。 もちろん仕事のみに当てはまることではありません。 人とのコミュニケーションも同じです。 あなたの仕事や生活上で会えた素敵な人がいるなら、きっとあとあと、最も嬉しい、生きていて良かったと思える事になるでし...