No.015 今年の十五夜(+魚座満月)
2025年03月29日で約13年間続いた『海王星魚座時代』が終了するため、魚座の私は海王星の守護が無くなり「もう後がない、絶対死ぬ」と思っている(笑)のですが、今月9月に魚座へのプレゼントがもうひとつありました。
毎年やってくる『十五夜』(中秋の名月)、今回2024年は9月17日なのですが、当日を含むその前後1日は、月が魚座の位置にあります。ちなみに満月は9月18日です。
2024/09/17:魚座の中秋の名月
2024/09/18:魚座満月+ハーベストムーン+月食(日本では見えない)
この両方が年内最大の魚座イベントになります。
魚座の満月は、
赦します
そして手放します
浄化して脱ぎ捨てて過去よさようなら〜
の日です。
これまでを振り返ると「自分自身」にフォーカスを当てたことがなく、自分のことなど考えたことがない人生でした。自分への興味も薄く、ほめられるのはものすごく苦手、今よりもっと若い頃などは、ほめてくれた人に「私のことなどほめなくていい!」と怒ったこともあるぐらいです。今はちゃんとお礼を言えるようになりましたが、最低限しか自分に手をかけず、かなり自己意識が大雑把だったと思います。他者と自己の区切りを持っていなかったとも言えますし、自分で自分を「消耗品扱い」していました。
だからここからせめて海王星魚座時代の終焉までの半年ほどは、
① 自分のことを大切に思う
② 私そのものを大切にしてくれる人を大切にする
ということを、あえて考えてみようと思います。
自分自分自分自分
で生きてる人って、すごくしんどそうに見えるのですが、ちょっとうらやましいこともあります。しっかりと自分に価値を見出だせているんだな、という部分です。
私は「価値」というのは必要とされる度合いが強いところに発生するものと思っているのですが(=流動的な価値)、流動的な価値ではなく、絶対値的な価値を自分自身に据えられるのってすごいと思うんですよね。
良い悪いは別として。
そう、良い悪いは別としてですよ。
自分自身は流動的価値観で生きていますので、具体的には社会やお客様から対価をいただいて生活できているというところに価値を見出だしますが、対価が発生せずとも見出せる人がちょっとうらやましいです。
まあ、ちょっとですけど。
"自己認定価値" と "思い上がり" と "思い込み" は紙一重ですからね。
なので、控えめにですが、流動的・商売的価値ではなく(それはもちろん大切にしていますが)、"私そのもの" を大切にしてくれる人の存在を感じたら、その人に対して精一杯大切のお返しをしたいと思っています。
maki