No.011 手のひらに存在する村社会・監視社会
SNSで久しぶりの人に繋がれたり、遠くの人とコミュニケーションが取れたり、最初の頃の純粋な喜びはそれはそれで本当に良かったと思います。ところで1代だけの会社や店舗の寿命が30年程度、とよく言われますが、 このところ、それと同じようにSNSももって30年ぐらいなのではないかな、と思います。要するに『次世代』に引き継がれないということです。
人の価値観や、金銭感覚、自己表現、楽しみ方というのはどんどん変わっていきますし、誰かが「当たり前」と感じていることは、その人たちが持ち続けていく感覚であり、何かのきっかけがあって「もう当たり前ではなくなっているんだ!」と時間差でようやく気づくことなのでしょう。
私がたくさんの方とお話しする機会を得ている中でお聞きする、多くの方が抱えるストレス。それはSNSのつながりによる、昔の「村社会・監視社会」をデジタル上でやってるようなストレスです。
隣が気になる、妬み、嫉み、すり寄り、などなど。
過去も現在も、リアルの世界では多くの人々がそれを嫌い、自由な仕事と人間関係を求めて田舎を出てワンルームマンションだらけの都会に来たのでしょうに。SNSはデジタルだから新しいわけでもなんでもなく、"在りよう" としては、いわゆる"村八分"や、"相互監視" 的な働きになっています。結局、人間とはそういうものなんだなと思いますが、SNSでしんどくなっている若い層には、
始めるも、やめるも、自由が保障されている国・時代に生きているので安心してやめたらいいよ
と言ってあげたいと思います。
リアル村社会だって、基本が「高齢者」で構成されており、公的資金投入ばかりで平等などありません。若い存在が別の場所へ「脱出」する構図です。そういう強い枠組みに嵌め込んでおかないと、他者とコミュニケーションが成立しなくなる年齢層のための仕組みです。
ヒエラルキー
という概念がそのまま埋め込まれたSNS村社会。
それを批判するつもりは全くありません。
必要な方にはとても必要な "心の安寧システム" です。でも、それに振り回されて一喜一憂している人、自分の存在を何が何でも誇示しておきたいと見境なく表現している "痛々しい"人、これらをうっかり見てしまうと、ちょっと距離を取ってしまい、船に乗ってさっさと出港してしまう自分がいます。言葉が細分化されている欧州では言語系SNSは廃れていますが、日本人は村社会が大好きで、年齢が上がるごとにそこに自らハマりたがる、これが伝統芸というものです。
そして、デジタル空間に自分の存在を置きすぎると、生身の自分が透明人間になっていくということも忘れずにいたいですね。
SNSが世の中を変えた!
なんていう文言は、SNSの会社が普及宣伝のために作り出した都合の良いストーリーです。
その水面下には数えきれないほど、血肉を使って労働している人たちがいるんですよ。
maki